どうも、SHINGOです。
僕がこれまで指導してきて、「この人はできるようになるな。」「あ、無理なタイプだな。」と判断する基準を教えますね。
■ケース1
「できない!」と言いながら挑むタイプ
まず、やる前に、「いや、できない」という。「できない、できない」と自己暗示をかけながらやるもんだから、聞く耳持たない。こう言う人が上手くなっていくのを見たことがない。どうやら、できない自分でいる方が都合がいいようなのですね。
ちなみに、「いえいえ私は出来ませんよ」のエセ謙遜タイプは、本当はできるんだけど、口だけ出来ませんと取り敢えず言っておくみたいなカタチだけなので、この人が「できない、できない」と言っていても自己暗示にはかからない。「かっこ、本当はできるんだけどね、っかっことじ」と後ろにくっついてるから。
■ケース2
「できても、できなくても、どっちでもいい」伏線ガードタイプ
「私は、できても、できなくてもまぁどっちでもいいんですけどね。」できないのが恥ずかしいので、一応、出来なかった時のために、自分が傷つかないように伏線を張っておきたい。「ほ、ほら私できなくても、かまわないからさ、、、!」アクセルブレーキなので、結局できるようにならない。
■ケース3
「できるようになったら、また伺います」いつかやろうは、、、タイプ
僕は、その人に二度と会うことはなかった。
結局、できるようになる人って言い訳してないんです。これって、自分に言い訳しないってことなんですよね。そもそも、僕に言い訳してもしょうがないんですが、本気でできるようになりたいなら、一番、やっちゃダメなのは、自分をごまかすこと。言い訳すること。
ヨガ哲学(アシュタンガ)にサティヤ-satya(嘘をつかない)と言うのがあります。転じて「正直であること」みたいな。サティヤ=真実という言葉もあるんですが、禁戒の中のサティヤは、SHINGO流で言えば、「言い訳しないこと。」「色んなヨガのポーズができるようになる。」というレベルであっても、「ヨガインストラクター になる!」というレベルであっても、「イントラとしてこうなりたい!」というレベルであってもです。
ただ、それとこれは別。って感じで、その人の中にも、ヨガポーズには言い訳しないけど、インストラクターになることに対しては言う。みたいな、合わせ技もあるからよくよく自分を観察してみてください。「本当は、そうしたいんじゃん!」「できないからってスネてるだけでしょ。」「傷つきたくないからってそう言ってるだけ」ってことあるから、本当の本当に、できるようになりたいなら、素直になって欲しいのです。
だって、「ほら、やっぱりできない。私の言った通りでしょ?」なんて鬼の首を取ったように、出来ないことを証明されてもあれ、それがしたいんでしたっけ?って感じですよね。自分が正しいこと訴えたい証明したい欲求を満たすのが目的だったら、他でやってくださいって感じですよね?
僕は、できないことをできるようにさせることを仕事にしてるので、「私のできない証明」のサポートでお金を頂いているわけじゃございません。サティヤ=「言い訳しない」で、ただ、「やりたい!」と僕に言ってくれたら、全力でサポートできるのに「どっちでもいいんですけどね」って言うなら、どっちでもいい状態のままにしてあげるしかないじゃなですか。
「できない」っていうなら、できるようになったら困っちゃうからできないままにするしか、ないじゃないですか。それがあなたの願いなんですから。もしも、僕が不思議な力を持っていて、あなたの願いを無視してヨガのポーズができるようにさせてしまったり、ヨガインストラクターに変身させてしまったとしたら、あなたは、きっと「なんてことしてくれたんだ!!!この悪魔め!!!」って怒るんでしょうね。
だから、僕は、あなたが望むままに、「できない」「どっちでもいい」の要望にお応えして、放置しつつ、「できるようになりたい」「イントラになりたい」「イントラ養成したい」「ヨガスタジオ建てたい」「独立したい」と言う人の願いを実現させるサポートをこれからもしてきたいと思うのでした。
※SHINGOのメルマガ『出来るようにならないタイプの見分け方教えますね。』(2018年10月12日発行)より引用
編集:いわさきあつひこ