どうもSHINGOです。
ヨガといえば、
比較をしないことだし、
「人と比べないように」
と言いいますね。
「他の人を見ていないで、
自分の内側を見つめましょう」
という外に意識を向けることから
内観をする方向にしたいのと、
「あの人に比べて、私はダメだ」
という劣等感を与えない為、
そして、
「私は、あの人よりも出来ている」
という優越感を与えない為であります。
生徒としては、
それでもよいのですが、
指導者には、
是非とも使いこなして
頂きたいことの一つなのです。
あなたは、
指導をする上で
ちゃんと比較を
使いこなせていますか?
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比較する技術を使いこなす
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もしも、そうでないなら、
『比較する』ということは、
イケナイコトになってしまいます。
しっかりと、
【比較する技術】を使いこなせたら
それは、
【分析能力】という立派なスキルです。
AとBの違いを
認識するということは、
実は、
AとBの
共通項も同時に理解する
ということでもあるのです。
これはとても重要なことです。
違いだけではなく、
同じ部分もあるということ。
共通の部分が
観れるということもまた、
例えば、
僕と生徒さんで、
何がが違うのか?
この差を
つまびらかにしないかぎり、
指導に再現性が
生まれないのです。
そもそも、
人間同士、そんなに
個体差があるわけでもありません。
たとえあったとしても、
それを補うための方法は、
違いが分からなければ、
作り出しようがありませんし、
その差が観えなければ、
相手を導くこともできません。
比較する技術で
行うことの一つは、
『観る』です。
指導者なら、
『観る』技術が必要になります。
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「なぜ、出来ないのか?」
「出来る、自分と何が違うのか?」
「出来るようにするとしたら、
どうしたらできるのか?」
「どのように表現したら伝わるのか?」
指導者にはこの問いが必要です。
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「なんでそれくらいのことも出来ないの」
「出来ないとか意味わからない」
これらは、
思考をストップさせている
と言わざるを得ません。
自分尺度でしか物事を観ていない。
それに比べて、
比較する技術とは、
自分と他者の
双方の尺度から観て、
他者が望むべき、
方向に導くための、
ステップを作り出す、
指導者の技術なのです。
技術とは、
自分にも他者にも有用であり、
引き継ぐことが可能な道具です。
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比較する技術は、認めること。
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比較することを
使いこなす(技術)にする
ということは、
個人的な感想で、
ストップさせないということです。
これは、良い悪い。以上!!
そんなことをしても
対して、役には立ちません。
まさに、多くの方が、
比較でやっていることの正体はこれです。
何にも観ていないに等しい。
表層で終わりにしています。
そうではなく、
しっかりと
相手を観なければなりません。
それも、相手以上に。
相手以上に相手を観る。
その気持ちがなければ、
差などわかるはずもありません。
そもそも、
【比較する技術】の
根底にあるのは、
『認める』ということです。
認めるといことは、
相手を卑下したり否定したりして、
そこで終わらせないということです。
もちろん、自分に対しても同じことです。
そこをスタート地点にする。ということです。